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2009年1月13日 (火)

柔軟性の重要性

小学校一年生の時にドッジボールかな、やってたんだわ。
スポーツという大義名分の下で人にボールをぶつける遊びを。
ドングリを鼻に詰めてとれなくなるレベルの知能なのに。

僕は受けたり投げたりするメインストリームな役割じゃなく
コートの隅でどれだけ気づかれないでいれるかを楽しむ系統の人であり
気づかれたらすごい勢いで逃げる石の裏のダンゴ虫や港のフナ虫的な立ち位置だった。

だから目立つことはあまりない。気づいてないふりして急にぶつけられる程度。
何で参加してんだよと思われるかもしれないが、ダンゴ虫にもダンゴ虫の楽しみがある。当てた奴に「ダンゴ虫にも人生があるんだよ!」って言う。それがクライマックス。なんていうかそれメイン。言ってやりたい。

まぁ基本はそんなドッジボール生活なわけですが。
その日はよける事の出来る日だった。いつもは当たりがちなものをよけられる。
ドッジボールのボールとか出席番号6番の子の6日とか右折する車すらよけられる。
もうボールの縫い目すら見える。なぜかはわからないがたまにあるよね、よけ日。

よけ日を利用してよけによけてたら当てるほうはもう必死、何でボールをぶつける事にそれだけ情熱を燃やせるかわからないレベルで必死に投げまくってきた。

それでもよける。すると情熱のボール投手が、石投げてきた。
うわー、石って。ダメだろ、ショックだわ。ドッジボールしてたら石投げられるって。
戦国時代の戦は鎧着て日本刀持ってたけど基本的には投石で闘ってたって聞いた時並みのショック。戦並みの攻撃受けちゃってるよ俺。動揺して石の縫い目が見えなかったもん。

その石は当たらなかったんだけどそれでもどんどん投げてくる。
それもよけるよける。案外よけれるもんだな、石。

当たってはないけどもう冷や冷や、早く誰か止めろよと。助けてくれと思ってたら
周りの奴らまで投げてきた。4~5人からの一斉投石。なんでだ。

今日はよけ日だけれども、結構よけたけれども、それでも基本はダンゴ虫だぞ?
ちょっとよけるのが上手いダンゴ虫がいたからってよってたかって石投げるかと?人だけど。

もうホント、どうしようもなくて、よけるとかよけないとかの問題じゃないくらい
石投げられたから逃げた。走って逃げた。ドッジボールなんてどうでもいい。石嫌い。

するとさっきの投石軍団もドッジボール投げだして追っかけてきやがった。石持って。逃げに逃げても追っかけてくる。心なしか追っかけてくる人数増えてる。

何が怖いって追っ掛けてくる奴らみんな半笑いだった。必死に逃げる僕と半笑いで追う投石軍。

小学校の校庭で繰り広げられる牛追い祭り。なんなら僕は牛になりたかった。人の表情の機微が伝わらない牛に。同種族だからこそ伝わる感情、恐ろしさ。

半笑いの奴らから石が投げられる。全速力で走って逃げるものの、向こうは飛び道具、投げられた石は結構当たる。かなり痛い。そしてまた何人か増えている。

そんな状況に小学生の僕が耐えられるわけもなく、今でも無理だが。走りながら泣いていた。溢れる涙、流れる風、上がる息、飛び交う石。もう石は僕の体にガンガン当っていた。

完璧に劣勢。すでに敗北しているといってもいいかもしれない。
それでも止まることは出来ない。逃げながら待つ、転機を、チャンスを。

キーンコーンカーンコーン。

チャンス、ありませんでした。普通に終わりです。
みんな、すっきりした顔や動き足りないといった感じを残しながら教室に戻っていく。
僕も泣きながら戻る。一緒に行きたくないけど戻るしかない。

そしてもちろん開かれる学級会。

担任の先生による公開事情聴取が始まる。ここから僕の逆転劇が幕を開ける。

まずは僕、被害者側から訴えを伝える。
事の経緯を伝える。ありのままに、赤裸々に、涙を交えて熱く語る。
伝えるほうは涙、聞くほうも涙なしには聞くことは出来ないだろう。完璧だ。
僕の言いたいこと、痛み、悔しさ、心細さ、全てを余すことなく伝えることができた。
投石軍は間違いなく断罪されることだろう。

次に投石軍への事情聴取が始まる。

「ボールが当たらなかったから悔しくて」
「それで石を投げたらナイアガラが嬉しそうにしてたから」
「僕も、石を投げられてうれしそうにしているナイアガラを見て投げたくなっちゃって」
「みんながナイアガラを追いかけてるのを見てたらナイアガラが
 嬉しそうだったから追いかけたほうがいいのかと思って」
「みんな追いかけてたから追いかけたほうがいいのかなと思ったから」

みんな、優しいなー。優しいから石ぶつけてくれたり、大群で追い回してくれたりする。すごいなー。違う方向で優しくして欲しかったなー。最後の子とか完璧に空気読んでるもんなー強者側の。ちょっとは間違えてくれたらよかったのになー。出世しそうだわ、そいつ。

聞いてるとビックリすることが多くて話してる途中で「そんなことないだろ」とか「おい」とか言っちゃったりしたんだけど、先生が木づちで机を叩く裁判官のごとく僕の言葉を止める。静粛に。って言われる。両者の言い分をきっちり聞いた上で判断を下すのだ。まさに大人。子供の喧嘩を止め、正しい道に導く教師。頼りになる。

両者は言いたいことを言い終え、先生からの質問が始まる。

「なんでナイアガラ君はうれしそうに逃げたの?」

信じてるー!!あっちの言い分10割通ってるー!!

あっれー。

泣きながら石をぶつけられた、追い回された僕が実は嬉しかったと判定されたよー。
あれれー。泣くほど嬉しかったのかなー。

再度僕からの涙ながらの抗議。そんなことはない、嫌だったと、痛かったと。すると先生。

「どうなの、みんな?」

「うれしそうだったー」

「ほら、こう言ってるじゃない」

絶対的民主主義。圧倒的な数の暴力。
流石にこれは民主主義考え出した人もビックリだ。主義だからさ、あくまで主義だからそこまで徹底しなくてもいいんじゃないかな?って言ってた。民 主義(ミン・オモヨシ)さんが言ってた。言いたいことを言っても数につぶされる世の中じゃ。ポイズン。

「ほら、みんなこう言ってるんだから」

何度訴えても伝わらない僕の想い。地球が自転してることを僕が発見したとしても
絶対認められない。自転してることを見つけた人は見つけたことよりもみんなに認めさせた事がすごいんじゃなかろうか。とか思っている時にさらに発せられる先生からの言葉

「じゃあナイアガラ君、楽しそうに走り回ってごめんなさいってみんなに謝って」

えぇー!!謝罪!?僕が!?しかも楽しそうに走り回ってごめんなさいって…
いいんじゃないのか、別に楽しそうに走り回るのは楽しそうじゃないか。謝るところかそれは。いやだ。石投げられて追いかけまわされて謝らせられるとかどんな社会だ。

頑として謝らない僕。が、教室内の空気は重い。さっきまでそのことを知らなかった子たちも先生の発言を聞いて、早く謝りなよ。みたいな目で僕のことを見ている。ポイズン。

先生から発せられる謝るまで終わらせねぇぜ。という雰囲気。
誰かの給食費が盗まれて犯人が名乗り出るまで解放されない時のようなあの感じ。

むしろそれよりも状況は悪い。すでに犯人は確定しているのだ。なのに終わらない追求。クラスのみんなからの刺すような視線が痛い。投石軍のにやけ顔が僕の心を踏みにじる。

僕は悪くない。なぜこんな事になっているのか。打開策を考える。
このままじゃ駄目だ。考えろ、逆転の一手、勝利へつながる金言を。

「楽しそうに走り回ってごめんなさい」

負けた。歴史的完敗。

言えば楽になる、この状況から解放されるという思いには勝てなかった。
先生やクラスメイト達、それらに負けたんじゃない。僕は僕に負けたのだ。

それ以降その日の記憶はない。どうやって過ごしたんだろう、そんな失態を晒しておきながら小学校生活を送っていかなければならない、その時よりもそれ以降が問題なのかもしれない。

ドングリをたくさん鼻に詰められる奴は偉い。
僕の小学校であったローカルルールだ。定期的にある鼻詰め大会で優勝した奴は
ドングリ鼻詰めキング、ドン鼻キングとして認められる。その大会が次の日に開かれたのだ。

僕は、勝った。いつもは2個くらい差をつけられて玉置くんに負けてたのだが
その日だけは負けられなかったのだ。

小学生は素直なもので凄いと思えば素直に凄いと認める。僕は友達の輪の中に戻ることができた。そして楽しく小学校生活を送っていたのだが、親の都合で転校をすることになった。

慣れ親しんだ友人、土地を離れる。その世界しか知らない子どもにとってはとても大きな出来事だ。すごく嫌だったし、転校したくないと駄々をこねたりもした。だがそれは通らない。

クラスで転校することを告げ、親の車で学校を後にする。すると後ろのほうから声が聞こえる。クラスのみんなだ。車はもう既に走り出しているのだが、みんなは走りながら声をかけてくれる転校しても頑張れよ。俺らのことを忘れるなよ。と叫んでいる。テレビドラマなんかで見たことのある風景だ。そして送り出されるほうはみんな…と涙ぐんだり、車から身を乗り出して答えるのだろう。

その時僕は、「あ、あいつら投石軍じゃん」転校もいいかもしれないって思い、車の速度をあげてもらった。もう僕の世界はここじゃない。新天地で頑張らないといけないのだ。

転校後、僕には味方なんて一人もいない。ガツンと一発かまして心をつかまないと。
そう思いドングリをいっぱい鼻に詰めてたらドン引きされた。ドン引きキングだ。

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